インタビューやテレビ出演なども多くを行わなかった「キング・オブ・ポップ」マイケル・ジャクソンの私生活は、いつも謎に包まれ、様々な憶測がされてきました。
幼少期からショービジネスにいるにも関わらず、ドラッグやアルコール、激しい女遊びなどの噂とは無縁だった「クリーン」なイメージのマイケルですが、スターだけあって、過去に様々な恋愛の噂があります。
周囲の証言や数少ない本人の証言などから、マイケル・ジャクソンの彼女や恋人について徹底的に調べました!
今回はマイケル・ジャクソンと噂になった歴代彼女や恋人について解説していきます!
マイケル・ジャクソンの歴代彼女(または噂になった人)
マイケル・ジャクソンは11歳にメジャーデビューを果たし、それからずっとショービジネス界でスターとして生活してきました。
特殊な環境で育ったので、普通の恋愛は難しかったでしょうが、そんな中でも心を通わせ、仲良くなった女性たちがいました。
早速、噂の相手を順番に紹介していきます!
永遠の憧れ:ダイアナ・ロス
1人目はダイアナ・ロスです。
彼女はジャクソン5のレコード会社「モータウンレコード」の先輩にあたります。
11歳でショービジネスに仲間入りし、右も左も分からないマイケルにとって、当時25歳で既に大スターだったダイアナは憧れの人物だったそう。
「母、姉、恋人、全てを合わせたような存在だった」とマイケルは語っています。
実際、ジャクソン家族は生家のインディアナゲイリーの家からレコーディングのためにカリフォルニアに引っ越してきた際、
家を用意してもらうまでの数ヶ月間、モータウン・レコードの社長のベリーの家と、その隣の家のダイアナ・ロスの家を行ったり来たりして生活していたそう。
(プロモーションのために「ダイアナの家に住んでいた」と言っているが、実際はゴーディーの家に泊まり、日中はダイアナの家で遊んでいた、が正しいらしい。ま、どっちでもいいけど笑)
ダイアナがマイケルに絵を教えたり、2人で一緒に美術館に行ったりと、仲良く過ごし、絆を深めました。
そんな半同棲生活もあり、マイケルはダイアナ・ロスにデビュー当初から片思いしていました。
マイケルがダイアナと出会ったのは、ダイアナが一番あぶらの乗っているときだね
オーラすごかったんだろうな
マイケルは幼少期からストリッパーのいる劇場で公演をしたりしていた影響もあってか、セクシー系の女性ではなく、気品のある女性が好みだったようです。
ダイアナに恋に落ちるのも納得ですね。
転機になったのが、1978年の映画「The Wiz」での共演です。
黒人版「オズの魔法使い」であるこの映画で、主人公のドロシーをダイアナ・ロスが、友達のかかし役をマイケルが演じます。
この撮影の際に、仲を深め、夜の町を一緒に出かける様子が見られるね
2人は付き合っているのかと噂されていたよ
しかし、歳の離れた2人、そもそもダイアナはマイケルを「かわいい弟」くらいにしか思っていなかったのかもしれません。
決定的なロマンスになることはなく、ダイアナは別の人と結婚してしまうことで2人の恋愛は幕を閉じます。
マイケルはダイアナの結婚にショックを受け、傷ついたそうです。
ダイアナが結婚をした1985年の直後の1988年にリリースされた、マイケル・ジャクソンの全米No.1ヒット曲「Dirty Diana(=汚いダイアナ)」。
本人は「ダイアナは特定の人物でない」と言っていますが、偶然だとしてもわざわざ「ダイアナ」という名前を使うのに何かしらのマイケルの思いを感じざるを得ません。
だって、マイケルが「ダイアナ」って言ったらダイアナ・ロスしか浮かばんでしょ。。。
しかし、マイケルにとってダイアナは大切な人であることは変わりません。
マイケル・ジャクソンの1992年のヒット作「Remember the Time」は「僕らが恋していたときを覚えている?」と歌う曲ですが、兄のジャーメインによる伝記で以下のように紹介されています。
マイケルはこの曲を書いた時、ダイアナを思い浮かべていたと言っていた。すり抜けていってしまった愛する人についての曲だ。 Jermaine Jackson / You Are Not Alone: Michael: Through a Brother's Eyes
この話が本当であれば、一時期は恋愛関係にあったことは事実であるといえます。
色々とあったダイアナとマイケルですが、マイケルは遺書の中で、子供達の親権をマイケルのお母さんのキャサリンの次にダイアナ・ロスを指名するなど、強い結びつきや信頼関係は文字通り死ぬまで続いていました。
ダイアナ・ロスとマイケルの関係については、こちらの記事にも詳しく書いているのでぜひご覧ください!
ダイアナとのコラボ曲については、↓の記事をご覧ください!
若い初恋:テータム・オニール
2人目はテータム・オニールです。
女優のテータム・オニールは9歳のときに出演した映画「ペーパームーン」でアカデミー助演女優賞を獲得するなど、子役として小さい頃から注目を浴びていました。
マイケル・ジャクソンとは、1970年代にデートしていたといわれており、マイケルはテータムのことを「ダイアナの次の最初の恋人」と言っています。
テータムもマイケルも「チャイルドスター」似たような生い立ちで、共感できるところや通じ合うところがあったんだろうね
2人はすぐに仲を深めたよ
こんなエピソードがあります。
テータムとマイケルが一緒にクラブに行ったとき、テータムがテーブルの下でマイケルの手を握ります。
そのときマイケルは「溶けるような」素敵な気持ちになったといいます。
手を握るという行為がとてつもなくよかったのだとか。
後に『ヴァイヴ』誌のインタビューでテイタムはこのように述べています。
彼は私に、『ウィズ』のプレミアに一緒に来てほしいと言ったの。でも、当時の私のエージェントが、それは好ましくないと言い出して。多分、彼がまだ、充分にビッグじゃないと思ったんでしょう。それ以降、彼からの連絡はなくなってしまった。
マイケルといえば誰だってスターだと思いますが、『Off The Wall』の前は「充分にビッグじゃない」と一緒にプレミアに行くのを断られるほどの知名度だったということに少し驚きです。
話がそれましたが、2人の若い恋はすれ違いなどもあり長くは続きませんでした。
初めての真剣な彼女:ブルック・シールズ
3人目はブルック・シールズです。
彼女もわずか生後11ヶ月で子供モデルとしてデビューするなど、小さい頃からショービジネスで生きてきた人でした。
生い立ちが似ているマイケル・ジャクソンとブルック・シールズは出会う前からお互いのファンだったそうだよ
2人は1981年のアカデミー賞授賞式で出会うと意気投合し、その後は頻繁にご飯を食べたり、電話をしたりと親しい関係を築きます。
ブルックはマイケルについて「お互いに誰に対しても警戒する癖があったが、お互いに対して警戒は不要なのだと感じ、私たちの友情は違う次元に深まった」と話しています。
1991年〜1992年頃に、マイケルとブルックはスタジオでよく一緒に時間を過ごし、真剣なお付き合いをしていたと、お兄さんのジャーメインは言っています。
マイケルも1993年のオプラ・ウィンフリーとのインタビューで「誰かとデートしている?」という問いに対し「今はブルック・シールズ」と答えています。
また「ブルックとは真剣にお付き合いしている時期があった」とマイケルが語ることがあるように、結婚には至りませんでしたが一時期は恋人関係にあったといえるでしょう。
2人が疎遠になってからも、家族ぐるみの付き合いは続いていたようです。
2009年のマイケル・ジャクソンの追悼式では「私たちは、早く大人にならなくてはなりませんでした。しかし、2人でいると、私達はただの楽しい子供たちでした」と涙を浮かべながらスピーチをする姿が見られました。
切ないな…
いい感じになったけど:マドンナ
4人目はマドンナです。
実はマドンナとマイケルは、同じ1958年8月生まれの同い年です。
キャリア的にはマイケルが大先輩になりますが、マドンナとマイケルは同世代の人気スターになります。
マイケルとマドンナの出会いは、1984年マイケルがジャクソンズとして「ヴィクトリーツアー」を行っていた際に訪れたニューヨークです。
バックステージやホテルのアフターパーティーなどで、駆け出しのマドンナとよく一緒につるんでいたそうですが、当時は恋仲になることはありませんでした。
しかし、1991年頃デートする仲に発展し、1991年のアカデミー賞授賞式で手をつないで現れたことで話題になります。
アフターパーティーも一緒に出てくる様子がパパラッチされ、マイケルはマドンナを家まで送りました。
そこでマドンナからマイケルにキスをした、とマドンナは後に言っています。
また、マイケルはマドンナに、自身のアルバム「Dangerous」でコラボレーションをしないかとマドンナに持ちかけ、ディナーとスタジオ収録の日程の約束を取り付けます。
マドンナとのロサンゼルスにあるレストラン「The Ivy」でのディナーデートの様子もパパラッチされるよ
マドンナとのコラボレーションのためにマイケルが用意した曲は「In The Closet」。
「In The Closet」はスラングで「(ゲイであることを)隠しておく」という意味もあり、マドンナはミュージックビデオで2人で「異装」することを提案しますが、マイケルは過激すぎると断ります。
結局意見がまとまらず、コラボレーションの話は流れ、「In The Closet」のミュージックビデオでマイケルはモデルのナオミキャンベル、歌ではモナコのプリンセス・ステファニーと共演しています。
まとめると、マドンナとマイケルは真剣な恋人関係までは至らなかったようです。
(まあ、性格が全然合わなそう…)
また、兄のジャーメインの自伝では以下のように書かれています。
1991年になるとマイケルとマドンナはごく短期間「デート」していた。ハリウッドで起こりうる全ての組み合わせの中で、この2人はおそらく最も相性が悪かった。マイケルもそのことにすぐ気がついた。
一方は女性的な一面を持つジェントルマンで、一方は男性的な面に深く根差したワイルドな女性だ。彼女はあらゆる側面でマイケルの理想の女性の反対だった。彼女は図々しく、歯に衣を着せぬ物言いで、頑固で、恥じらいのなさで世間に衝撃をもたらしていた。マドンナはマイケルのことを心から慕っていたと思うが、その思いは両方向ではなかったし、彼女は2つの致命的な過ちを犯してしまった。最初の過ちは、マイケルが持っていた「女は男を変えたがる」という付き合いに関する恐れを体現したことだった。彼女はマイケルの緊張を解き、彼の殻から出てこさせ、彼に彼女の視点から世界を見るようにさせようと躍起になっているようだった。2つ目の大きな過ちは、ある夜ディナーを食べているときに、彼女は向こうみずにもジャネット(妹)を批判したのだった。マイケルは激怒し、当然のことながら、彼らは二度とデートをすることはなかった。
また、マドンナはマイケルのネバーランドに遊びに行ったとき、「デートするならディズニーランドは行かない」と言ったそうです。
大のディズニーファンのマイケルからしてみれば、それは完全にNG発言だね
また、マドンナはテレビでマイケルについて「あの長い髪は切ったほうがいい」とか「バックルは外したほうがいい」などと批判したことで、マイケルが激怒してしまったともいわれています。
いずれにせよ、いい感じになりそうになったが、交際にはいたらなかったといえそうです。
結婚も考えた相手:タチアナ
5人目はタチアナ・サムツェンです。
彼女はマイケルの1987年の全米No.1ヒットシングル「The Way You Make Me Feel」のミュージックビデオで共演しています。
「The Way You Make Me Feel」のミュージックビデオのキャスティングの際に「性的魅力を感じる子を選ぶ」と宣言していたマイケルは、200人の女性の中から自らタチアナを選びます。
タチアナの見た目はどことなくマイケルに似ていて、「女性版ジャクソン」と呼ばれたりしたよ
5日間の撮影でタチアナとマイケルは仲を深め、後にタチアナはマイケルに呼ばれ「バッドツアー」にも参加するようになります。
また1988年のシングル「Dirty Diana」のミュージックビデオにも起用されます。
2つのビデオに同じ人を起用するという異例の行動で、マイケルのお気に入り度がわかるね
さらに、マイケルはタチアナを家に招き、両親に紹介します。
父のジョセフはタチアナのことを「若くて、美しくて、子供のような心を持っていた」と語るなど、ジャクソン家のメンバーもタチアナのことを気に入ってしまいます。
家族に紹介するということは、結婚も意識していたのでしょうか。
しかし、1988年、ツアーのステージ上でタチアナが決定的な行動をし、それからぷっつりマイケル側から縁を切られることになってしまいます。
それは、ライブの演奏の途中でタチアナがマイケルの口にキスをしたことでした。
マイケルサイドはかんかんに怒り、タチアナは解雇され、以降のツアーはシェリル・クロウに代わられることになりました。
プロフェッショナルなマイケルは、仕事と私生活と混同したり、メディアに騒ぎ立てられるのが嫌だったんだろうね
お似合いだったのに残念だなあ
以降彼女がマイケルの人生と交わることはありませんでした。
マイケル・ジャクソンの結婚相手
マイケルは人生で2度の結婚と離婚を経験しています。
2回の結婚について見ていきます!
結婚相手その1:リサ・マリー・プレスリー
結婚相手の1人目はリサ・マリー・プレスリーです。
彼女はかの有名なキング・オブ・ロックンロール「エルビス・プレスリー」の娘です。
マイケルはリサに会いたがったけど、リサは最初は変人だから会いたくないと思っていたそうだよ
しかし、リサはマイケルと実際に会って話すと思っていた人と違って普通の人で、すぐに打ち解けたといいます。
リサもマイケルも、小さい頃から世間の好奇の目にさらされる生活を強いられたという点が似ていて、通じるところがあったのでしょう。
1993年頃、2人は恋に落ちます。
マイケルとリサは電話などで仲を深めます。
マイケルの1度目の児童虐待疑惑の際もリサはマイケルを支えたよ
マイケルはついにリサにプロポーズします。
書斎の暖炉の前で、ポケットから10カラットのダイアモンドリングを出してリサの指にはめ、ひざまずいてプロポーズしたそうです。
伝統的なあれですね。
2人はめでたく1994年5月26日、結婚します。
リサはマイケルとの結婚について「自分よりも大きな存在と結婚することで、妻になったと感じられるし、夫の(前でなくて)横にいる方が心地よく感じられる。」「全ての意味において普通の結婚だった。」と語っています。
リサいわく、マイケルとうまくいっていた結婚生活は、人生で最も最高の瞬間だったそうだよ
しかし、マイケルは子供を欲しがりましたが、リサはマイケルと親権争いなどをしたくなかったため、2人が絶対離れないと確信を持ってから子供を持ちたいと拒否します。
事前に話し合っとかなきゃいけないやつじゃん…
段々と距離が生まれた2人はついに1996年に離婚。
この離婚は2人にとってもつらかったといいます。
離婚後も数年間、2人で何度かデートしている様子が捉えられます。
くっついては別れてを繰り返していたようです。
結婚相手その2:デビー・ロウ
結婚相手の2人目はデビー・ロウです。
彼女は1980年代から、マイケルの専属皮膚科医としてマイケルと共に過ごします。
マイケルがリサと離婚成立前、リサと別れて落ち込んでいたのを、デビーがそばで励ましていたそうだよ
「本当に父親になりたかった」と言うマイケルに、デビーが「私があなたを父親にしてあげるわよ。あなたは父親になるべきよ」と言い、デビーはマイケルとの子を産むことを決意します。
子供の立場のことを考え、2人は1996年11月13日に結婚。
1997年2月13日に息子のマイケル・ジョセフ・プリンス・ジャクソン・ジュニアが、1998年4月3日に娘のパリス・マイケル・キャサリン・ジャクソンを出産します。
マイケルは「出産の最中も手を握って髪をなでてくれた」といい、デビーは「子供が生まれたときのマイケルの顔は、あんなに幸せそうな顔を見たことがなかった」と涙ぐんで語っています。
デビーが第二子妊娠中に、マイケルが前妻のリサとデートしているところがパパラッチされますが、また友達として元にもどってよかった、彼らが一緒にいるのを見られて嬉しい、とデビーが不倫の噂を否定。
マイケルとデビーの関係は良好にも思えましたが、1999年に離婚。
3年間の短い結婚生活だったね
別れた原因としてデビーは、何でもニュースにされ、嘘も本当のように報道されたり、スーパーにも行けないような生活に耐えられなくなったからと言っています。
ちなみにマイケルは子供が3人いて、3人目のプリンス・マイケル・ジャクソンは2002年2月21日に、匿名の代理母から産まれています。
マイケル・ジャクソンの歴代の噂の彼女、結婚相手まとめ
マイケル・ジャクソンの過去の恋愛や結婚相手、恋人などについてまとめてきました。
小さい頃から芸能界にいて、警戒心が強くガードが固いマイケルにとって、信頼して心を許せる人と出会うのいうのはなかなか難しかったのかな、という気がします。
テータムやブルック、リサなどを見ても、自分と似た境遇の人と意気投合し、そのまま恋愛関係に発展するというパターンが多いですね。
過去の女性たちは、マイケルの人生にとって、恋愛関係としても友人関係としても、大切な存在だったことでしょう。
天国で安らかに眠っていることを願います。
最後までお読みいただきありがとうございました!
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