人類史上最も成功したエンターテイナーとしてギネスブックにも認定されているキング・オブ・ポップ、マイケル・ジャクソン。
黒い帽子に光る手袋にムーンウォーク、キレのあるダンスとソウルフルなボーカルなど、マイケル・ジャクソン独自のスタイルが浮んでくるよね
しかし、彼独自のスタイルは全て自分で生み出したわけではなく、マイケルが過去の偉人や他の憧れのアーティストを勉強して影響を受けたことで作り出されています。
今回は、エンターテイナー・マイケルがめちゃめちゃ尊敬して、マイケルが多大なる影響を受けた人物を5人紹介していきます!
マイケル・ジャクソンが影響を受けた人物①:ダイアナ・ロス
ダイアナ・ロスはマイケル・ジャクソンがジャクソン5のときのレコード会社の先輩にあたる女性シンガーです。
マイケルは自伝で「彼女は母と恋人と姉とを一緒にしたような存在だった」と述べています。
デビューしたての時期に、マイケル兄弟たちはダイアナの家に一緒に住んでいたことがありました。マイケルは当時11歳。
まだ小学生という幼い頃に親元を離れて一緒に住んでいた14歳上のダイアナを、お母さんのような存在と見るようになるのも無理はないね
マイケルは共同生活の中で、当時人気絶頂のスターだったダイアナから多くを学んだそうです。
当時についてこのように述べています。
「僕は部屋の隅に座って、ただダイアナの動きを観察していたのを覚えている。彼女の動きは芸術なんだ。 …僕は自分がリハーサルをしているときを除いて一日中、彼女の歌を聞いていた。ある日、僕はダイアナがリハーサルをしているのを鏡越しに見ていた。彼女は僕が見ていることに気付いていない。僕は彼女を、彼女の動きを、彼女の歌い方を、彼女という存在を、研究した。その後に僕は彼女に「ダイアナのようになりたいです」と言ったんだ。すると彼女は「あなたのままでいなさい。そうすれば偉大なスターになれるわよ」って答えた。 J.Randy Traborrelli / MICHAEL JACKSON: The Magic, The Madness, The Whole Story より
スター絶頂期のダイアナとの共同生活から、どこか女性的で優美な動きやスターとしてのオーラのようなものを学んだと考えられます。
確かに、マイケルって少し女性的な優美さがあると思いませんか…?
幼少期から一番身近に吸収したダイアナという憧れの存在の影響も大きいのかもね
マイケルのダイアナへの愛は、「憧れ」から「恋愛」の愛へと発展していきます。
2人は、ダイアナ・ロスが主演を務めた黒人版「オズの魔法使い」の「The Wiz」で共演した1970年代後半、撮影の合間に2人で夜の街に繰り出し、仲良く遊んでいる様子が目撃されています。
マイケル・ジャクソンの1992年のヒット作「Remember the Time」は「僕らが恋していたときを覚えている?」と歌う名曲ですが、兄のジャーメインによる伝記によると
マイケルはこの曲を書いた時、ダイアナを思い浮かべていたと言っていた。すり抜けていってしまった愛する人についての曲だ Jermaine Jackson / You Are Not Alone: Michael: Through a Brother's Eyes
とのことです。
歌の中のように、本当に2人は恋愛をしていたのかもしれませんね。
マイケルは完全にダイアナといつか結婚する気でいたようですが、ダイアナは結婚までは考えていなかったようです。
14歳という年の差を超えることはできなかったんだね
ダイアナは1985年に2度目の結婚をします。
マイケルは、ダイアナが「勝手に」他の男と結婚したことに、かなりショックを受けます。
1988年にリリースされた「Dirty Diana」は、マイケルは否定していますが、マイケルを付かず離れずの関係で気を持たせていたダイアナに対して書かれたのだとも言われています。
まあ、フィクションのストーリーだったとしても、わざわざタイトルに「ダイアナ」って付けないよね
みんな連想するのはわかりきってるもんね。。ダイアナへの複雑な思いを感じるね
それでも、家にダイアナ・ロスの写真などで埋め尽くされた「ダイアナ崇拝部屋」を設けているほどダイアナ愛が止まらないマイケル。
後に、マイケルの整形は「ダイアナ・ロスに似せているのではないか」と噂されたりもします。
遺言の中で、マイケルと母のキャサリンの次に、ダイアナ・ロスを子供の後見人に指定していることからも、非常に強い信頼関係で結ばれていたことが伺えます。
いずれにせよ、マイケルの子供時代から生涯をとおしてマイケルの憧れだったダイアナ・ロスの存在は、彼に大きな影響を与えたと言っていいでしょう。
マイケル・ジャクソンが影響を受けた人物②:ジェームズ・ブラウン
マイケル・ジャクソンの尊敬してやまないスターの2人目はソウル・レジェンドのジェームズ・ブラウンです。
ジェームズ・ブラウンは1960年代に全盛期を極めたソウル・シンガーで、エネルギーに溢れたパフォーマンスで見るものを熱狂させました。
1969年にジャクソン5がデビューするから、ちょうどマイケルの子供時代を彩るスターだったんだね
小さい頃のインタビューを見ていると、マイケルが好きなアーティストを聞かれた際には必ずと言っていいほど「ジェームズ・ブラウン(にやっ)」と彼の名前を挙げます。
マイケルは1993年のインタビューでこう語っています。
(子供の頃)僕は彼をテレビで見ていたんだけど、よくカメラマンに腹を立てていたよ!だって、彼が踊りだすってときに、ズームにするんだ。足が見えないじゃないか!僕は怒ってものを投げていたよ。それで僕は「映して!映して!彼の足を見て勉強したいんだ!」って言っていた
マイケルはテレビでジェームズ・ブラウンのステップを学んでは、練習して自分のものにしていたそう。
お兄さんはこのように言っています。
マイケルは小さなモノマネ師だった。マイケルが何かー他の子供のダンスやテレビでジェームズ・ブラウンが踊っているところとかーを観たら、次の瞬間にはそれを覚えて、どうやって再現するかがわかったんだ。 Jermaine Jackson / You Are Not Alone: Michael: Through a Brother's Eyes
マイケル・ジャクソンの小さい頃は「ジェームズ・ブラウン101学校の名誉学生を見ているようだった」と伝記作家のJ・Randy・Tarabprrelli氏は述べています。
マイケルはジェームズ・ブラウンの有名なステップや唸り声、マイクさばきなどを「盗んで」いたのでしょう。
また、マイケル兄弟がデビュー前に様々な劇場でタレントコンテストに出場していたときのこと。無名の人だけでなく、既に有名なグループなどが同じ劇場でパフォーマンスをすることもあったよう。
自分の出番でないときに、マイケルは舞台の裾でレジェンド達のパフォーマンスをじっとみて観察していたようです。
1970年代にマイケルはこう言っています。
ジェームズ・ブラウンがステージでやる技を少し教えてくれたんだ。マイクを床に落として、床に着く前にキャッチする方法をね。30分くらいで学んだよ。難しそうに見えるけど、簡単なんだ。あとは、ジェームズ・ブラウンが履いているようなエナメルの靴がほしいな。でも、子供サイズはないんだって。 J.Randy Traborrelli / MICHAEL JACKSON: The Magic, The Madness, The Whole Story より
マイケルのトレードマークともいえる黒いエナメル靴は、ジェームズ・ブラウンへの憧れからきているのかもしれませね。
彼のステップや唸り声なども、自分流にアレンジをし、磨きをかけながらも、元はジェームズ・ブラウンから影響を受けたものがたくさんあると言えるでしょう。
マイケルは2006年のクリスマスに亡くなったジェームズ・ブラウンのお別れ会で、以下のように述べています。
ジェームズ・ブラウンは私の最も大きなインスピレーションでした。6歳という小さな子どもの頃から、何時であろうとも、僕が何をしていようとも、母に寝ているときには僕を起こしてもらって、師匠の技をテレビで見ていました。
小さい頃からの憧れであり、先生でもあるジェームズ・ブラウンのマイケルへの影響は計り知れないですね。
マイケル・ジャクソンが影響を受けた人物③:フレッド・アステア
マイケル・ジャクソンの尊敬してやまないスターの2人目はフレッド・アステアです。
フレッド・アステアは1950年代に活躍した歌手であり、ミュージカルのスターです。
マイケルはことあるごとに、フレッド・アステアを自分のインスピレーションとして挙げてい流よね
フレッド・アステアのミュージカル中でのタップダンスや特徴的なステップは、マイケルの作品に色濃く影響を残しています。
例えば、マイケル・ジャクソンの代表曲の一つである「Smooth Crinminal」のビデオ。
この中に登場するマイケルの衣装である白いスーツに、黒いラインの入った白いフェドーラ帽、青いスーツに白いネクタイ。それからクラブのセッティングなど、全てにおいて「The Band Wagon」の中の有名なナンバー「Girl Hunt Ballet」そのものです。
1978年のインタビューでマイケルは「新聞は読むの?」という質問に対し、
ほら、僕はショービジネスが好きなんだ。いつだって音楽を聴いている。それから昔の映画を観たり。フレッド・アステアの映画とか。ジーン・ケリーも好き。あとサミー(デイヴィス)も。彼らを24時間、毎日観ていられる。それが僕が一番好きなことなんだ。
と語っています。
暇さえあれば、フレッド・アステアやジーン・ケリーといったスターたちの出演する昔の映画をみていたことが伺えます。
フレッド・アステアも、マイケルのダンスを観てこのように語っています。
びっくりしたよ。あの坊やの動きは格別だ。今世紀で最も偉大なダンサーだね。 僕の後継者を知らないままこの世を去りたくなかった。マイケル、ありがとう。
またマイケルは1988年の自伝「Moonwalker」の冒頭で、この自伝をフレッド・アステアに捧げています。
マイケルは「Smooth Criminal」だけでなく、「You Rock My World」や「Billie Jean」などにも、フレッド・アステアやその映画の舞台である1930年代のセットに影響を受けたようなビデオがたくさんあります。
こんなエピソードもあります。
マイケルのムーンウォークがはじめて披露されたと言われる1983年の「モータウン25周年特番」を観て感銘を受けたフレッド・アステアは、マイケルにお祝いの電話を掛けます。
マイケルは最初、憧れの人からの電話を、最初は信じられなかったそう。いたずら電話だと思ったんでしょう。
マイケルのボイス・ティーチャーの人が電話を受けたときのマイケルの様子を以下のように述べています。
アステアが電話をかけてきたとき、マイケルは朝食を食べていたんだけど、彼はすごい喜んで、喜びのあまり具合が悪くなって、朝食を最後まで食べられなかったんだ。 Jermaine Jackson / You Are Not Alone: Michael: Through a Brother's Eyes
この反応は、完全にファンのやつだ
マイケルはフレッド・アステアの動きや映画の世界観に憧れ、研究し、再現するなど、多大なる影響を受けていたのです。
スムーズ・クリミナルのビデオや、その他マイケル・ジャクソンのミュージックビデオの秘話については、こちらをご覧ください!
マイケル・ジャクソンが影響を受けた人物④:チャールズ・チャップリン
マイケル・ジャクソンの尊敬してやまないスターの4人目はチャールズ(チャーリー)・チャップリンです。
チャールズ・チャップリンは、サイレント映画時代に活躍した映画監督、俳優、コメディアン、プロデューサー、作曲家ですね。
マイケルはチャールズ・チャップリンの大ファンであることで知られています。
マイケル・ジャクソンの1995年のアルバム「HIStory: Past, Present and Future—Book I」には、チャップリンが1936年の映画「Modern Times」のために作曲した曲「Smile」が収録されています。(マイケルのボーカルが最高だから、聴いたことない人聴いてみて!)
マイケルが21歳になったときのインタビューで、こう語っています。
僕にとって、ウォルト・ディズニーは真の男だ。チャーリー・チャップリンも真の男だ。ビル・ロビンソンも。彼らは、目標を達成しただけでなく、他人にたくさんの喜びをもたらしている。誰もが彼らを尊敬している。僕も人から尊敬されたい。彼らは道を切り開いた。僕も道を作りたいんだ。それが僕にとって、真に大人になるっていうことだ。
映画史に名を残し、映画監督やコメディアンといった肩書きにとらわれない独自のポジションを獲得したチャップリンは、たしかにマイケルに少し重なりますね。
子供時代に貧困の中苦労してトップに上り詰めたという生い立ちも少しマイケルとかぶるところもあるでしょう。
マイケルは尊敬と憧れから、チャップリンの1921年の映画『The Kid』人気キャラクター「The Little Tramp」に扮して写真をとったりしてるよ
1987年から行っていたマイケルの「Badツアー」の最中に、チャップリンの未亡人であるウーナ・チャップリンのもとを訪れているね
マイケルはチャップリンの映画史に残るクリエイティビティと彼の才能に惚れこんでいたのです。
先駆者としてお手本にしていたのだと思います。
マイケル・ジャクソンが影響を受けた人物⑤:P.T.バーナム
マイケル・ジャクソンの尊敬してやまないスターの5人目はP.T.バーナムです。
バーナムは、2017年に公開された大ヒット映画「The Greatest Showman」の主人公のモデルとなった人物です。
マイケルはスリラーを発表した2年後の1984年、マイケルのマネージャーと弁護士にP.T.バーナムの思想や哲学の書いてある本を渡し、次のように言ったと言われています。
これは僕のバイブルになる本だから、君たちにもそう思ってほしい。僕は自分のキャリアを地球上で最も大きなショーにしたいんだ。
J.Randy Traborrelli / MICHAEL JACKSON: The Magic, The Madness, The Whole Story より
マイケルは、スリラーの成功以降「酸素室で眠っている」という噂や「エレファント・マンの骨を買いたがっている」といった噂など、たくさんの変わった人であるというイメージを与える噂が報道されています。
そのうちのいくつかは、マイケルが自分で主導したものと言われています。
みんなに「マイケル・ジャクソン」という人をひとつのエンターテイメントとして捉えてもらいたかったんですね。
バーナムも誇張したほら話で有名だよね
グレイテスト・ショーマンでもそういうシーンあったわ
ただ、マイケルの思惑は少し違った方向に進んでしまいます。
自分で始めた宣伝活動は収集がつかなくなってしまい、変人であるというレッテルは彼にべったりとくっついて離れなくなってしまう結果になります。
一般の人と接点を失ったポップスターは、もはや「ポピュラー」ではなくなります。
更には、少年性的虐待疑惑が有罪であるかのように報道されるなど、マイケル・ジャクソンについては何を言ってもいいんだ、というような扱いをメディアからうけることになります。
そこまではマイケルは想像していなかったんじゃないかな
そのきっかけは、自分で作ってしまったんだね
いずれにせよ、マイケル・ジャクソンはバーナムの哲学に影響を受け、自分のキャリアと人生を、他人を楽しませるために捧げたといえるでしょう。
まとめ:マイケルは模倣の天才
マイケル・ジャクソンが尊敬し、憧れ、影響を受けた人物を5人紹介してきました。
人物は以下のとおりです。
マイケル・ジャクソンは後世にたくさんの影響を残し、現在の音楽界でマイケルの影響を受けていない人はいないと言ってもいいほどの大きな存在です。
しかし、そんなマイケルだって、偉大なる先人から学び、影響を受け、コピーし、自分のものにして自身のスタイルを作り上げていったのです。
個人的には、男性アーティストがこれほどまでに女性アーティスト(ダイアナ・ロス)に心酔し、お手本にする例ってあんまりない気がします。
そこが、マイケルのどこか優しく中性的で優美な魅力につながっているのでは、と思ったりしています。
最後までお読みいただきありがとうございました!
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