マイケル・ジャクソンはなぜすごいと言われるのでしょうか。
マイケル・ジャクソンがなぜ他のアーティストと比べてこんなに有名になり、「すごい」のかと言われると、わからない方が多いかと思います。
この記事では、マイケル・ジャクソンのすごさは何なのか、他のアーティストと圧倒的に違う点について、色々な観点から5つまとめてみました。
マイケルジャクソンの凄さ①:キャリアの長さがすごい
1つ目は、マイケル・ジャクソンのキャリアの長さです。
マイケル・ジャクソンはなんと11歳のときからメジャー・デビューを果たしています。
彼らはデビューシングルの「I Want You Back」から「ABC」「The Love You Save」「I’ll Be There」と4曲連続で全米No.1ヒットを飾ります。
デビューから4曲連続でNo.1ヒットを飛ばすのは、当時史上初の快挙でした。
しかしすごいのはここから。
電撃デビューの後もずっと最前線に居続け、なんとビルボードチャートホット100で25年と7ヶ月の間ナンバーワンヒット、46年8ヶ月の間ナンバー40にチャートインを続けるという「最も長いスパンチャートインしたアーティスト」という世界記録を持っているほど。
普通ならこれで「人生でなしとげる偉業」は既に成し遂げているので、引退してもいいくらいだよね
「史上初の快挙」という過去の偉業を背負って、ずっと生きていけちゃうもんね
しかしマイケルはチャイルドスターとして偉業を達成した後もなお、ソロ活動でギネスブックに載るような、世界最大級のヒットを飛ばすこととなるのです。
この屈強さがすごい。
子役ですごく有名になった人が、「そういやこの人って子役だったんだっけ」とみんな忘れてしまうくらい大人になってからヒットする例ってあまり見たこと無いですよね。
自分で自分の影を乗り越えていく。
ショー・ビジネスの最前線に居続ける。
それを続けることができる人だけが、ずっと「現役」でいられる。
マイケル・ジャクソンは自己変革力をもって、ずっと第一線で活躍していました。
子供の頃から大人になっても、ずっとショービジネスのキャリアを突き詰めてきたすごさがあります。
子供の頃のマイケルはこちら↓
きゃわいい〜〜〜♥ぷちアフロと兄弟達も衣装がかわいすぎて困る。
マイケルジャクソンの凄さ②:ミュージック・ビデオ革命がすごい
マイケル・ジャクソンといえば、『スリラー』が史上最も売れたアルバムとしてギネスブックに載っています。
でも、なんで『スリラー』がそんなにも有名なのでしょうか。
それはずばり「ミュージック・ビデオで革命を起こしたから」です。
詳しくは↓の記事で書いていますが、
マイケル・ジャクソンの前のミュージックビデオは「PV=プロモーション・ビデオ」と言われ、宣伝のためにちょろっと撮られるものでした。
全然重要視されていなかったんだね
予算もかけてなかったよ
なので、「スリラー」以前のミュージック・ビデオは「レコーディングのついでにスタジオの隅で撮っちゃいました」みたいな、「あればイイんでしょ」的クオリティのものばかりでした。
アーティストがマイクに向かって揺れながら歌っている様子を、いろんな角度から撮ってくっつけたコラージュ作品みたいな。
マイケルは、そこに目をつけたんだね
というのも、スリラーのリリースされた1982年の1年前の1981年8月に、アメリカで「MTV」という音楽専門チャンネルが開局し、人気を博していました。
MTVは、24時間ポピュラーミュージックのPVを流す番組。
ここに流れてくるビデオのお粗末なこと。
マイケルは、MTVでPVが流されることを考え「すごいビデオを作ってやるぞ」と決意します。
マイケルは自身のPVのことを「プロモーション・ビデオ=宣伝ビデオ」と呼ぶのを嫌がったよ
「僕のビデオは作品なんだ。だから、『ショート・フィルム=短編映画』と呼ぶよ」ということで、マイケルは自分のビデオをショート・フィルムと呼び始めるよ
ハイクオリティのビデオを作ると決意したマイケルは、1981年のヒット映画「狼男アメリカン」の監督とメイクさんを起用し、約14分にもわたるストーリー仕立てのミュージック・ビデオを作り上げます。
予算も当時としては類を見ない50万ドル(約5,500万円)という大金を使いました。
『スリラー』のミュージックビデオは皆さんみたことありますでしょうか。
デートで女の子とホラー映画を見た帰り道、マイケルが急に目がぐーっとエグれた恐ろしいゾンビに変身して、同じくぞっとするような見た目のゾンビ仲間と踊り狂います。
途中でマイケルが普通の顔になって振り返り、サビを歌うところがかっこよすぎる…
たしかに、これをみればもう、ドラマや映画をみているような感覚になるよね
マイケルは、ただの音楽の添え物でしかなかったPVに目をつけ、ミュージック・ビデオ自体を作品として昇華させました。
今では割と当たり前ですが、こんなにハイ・クオリティのビデオは当時では画期的で、観た人はきっと「目が点」になって見入ったことでしょう。
まさに、価値観の革命ですね。
予想通り、このビデオと共に「スリラー」は大ヒットとなります。
時代の流れを読みミュージック・ビデオに目をつけ、今後のミュージック・ビデオの流れを作ったのはマイケル・ジャクソンだったのです。
スリラーについては、以下の記事に詳しく解説しています!
スリラーフルバージョンはこちら↓
マイケルジャクソンの凄さ③:人種の壁の壊しかたがすごい
マイケル・ジャクソンはポピュラー音楽史の中で、最も売れたアーティストですが、黒人アーティストがそれを成し遂げたことにも大きな意味があります。
なぜなら、当時は人種差別がまだ色濃く残っていたからです。
マイケル・ジャクソンがプロデューサーにクインシー・ジョーンズを迎えて初めてのソロアルバム「Off The Wall」で、マイケルは全米シングルチャート1位の曲を3曲、アルバムチャートで3位という偉業を成し遂げます。
しかし、この成功にも関わらず、グラミー賞では2部門にノミネートされ、1部門「最優秀男性R&Bボーカル」を受賞したにとどまりました。
R&Bボーカルとはやんわりと、「黒人ボーカル」のことだよね
これは差別だと感じたんだね
マイケルはこの結果に納得がいきません。
「最優秀アルバム賞を受賞しないなんて不公平だ。こんなことは二度と起こってはならない」
「誰も無視ができないようなすごいアルバムを作ってやる」
この決心のもとで生まれたのが『スリラー』で、マイケルは有言実行をします。
MTVは開局当時、黒人の音楽は「充分にロックミュージックであるとは言い難い」という理由で白人のミュージック・ビデオしか流していませんでした。
今では考えられませんが、1980年代はまだまだ人種差別が色濃く残っていたんですね。
しかし、マイケルのリリースした『ビリー・ジーン』のミュージック・ビデオが無視のできない人気になり、ついにMTVは連続でマイケルの、つまり黒人のミュージック・ビデオを流さざるを得なくなります。
マイケルの人気が、人種の壁を取り去った瞬間ですね。
そして、このことはマイケルも狙っていたことだったよ
誰もが無視できないような圧倒的な人気を得なくては、黒人が「R&B」の枠を超えて「ポピュラー・ミュージック(=人気のあるミュージック)」の枠に入ることはできない、と。
よく考えればすごいことですよね。
世界で最も売れたアルバムが黒人のアルバムだなんて。
(多分この事実が受け入れられない人が、後にマイケルのことをいじめることになるんだと思っています。)
マイケルはそれだけでなく「人類・地球愛」をテーマに、人生を通じて差別や偏見のない世界を作るために創作活動や慈善活動を行っていました。
マイケルは、後に黒人ミュージシャンひいては黒人の政治家や黒人作家など、あらゆる分野で黒人が活躍できるような土壌を作ったのです。
マイケルジャクソンの凄さ④:プロモーション戦略がすごい
マイケルはプロモーション戦略がすごいです。
なぜなら、マイケルは自分自身を「商品」をみなしていて、自分自身の私生活やビデオの撮られ方を含め、アルバムのプロモーションなど様々なところまでプロモーションしていたからです。
たとえば有名な例でいくと、マイケルの1995年のアルバム「HIStory: Past, Present and Future, Book I」のワールド・ツアーのプロモーションのために、ロンドンのテムズ川やベルリンのアレキサンダープラッツなど世界の至るところにアルバムのカバーと同じ、マイケルの9メートル以上の像を10体置きました。
他にも、マイケルのトレードマークの黒いフェドーラ帽とキラキラの手袋と靴下、黒く光るローファー。
これをみただけで、観客は「マイケル・ジャクソンだ」と一瞬でわかります。
マイケル特有のポーズもたくさんありますね。
つま先立ちのポーズや頭に手を当てて「ぽーっ」のポーズ。こちらもみんな影をみただけで「マイケル・ジャクソンだ」とわかる。
自分のパッケージ化に成功していたんだね
1983年に、マイケルがジャクソン5の時代に所属していたレコード・レーベルの25周年記念番組が放送されました。
その際も、マイケルは自分のパフォーマンスのビデオの編集を自分ですることを条件に参加しています。
そこで、カメラ割りや編集などといった「見せ方」にもとことんこだわっているのが伝わってきます。
人に「どう見えるか」「どう見せるか」に徹底的にこだわったマイケル。
ショービジネスって、結局それが全てだよね
でも、マイケルの場合、少しそれが行き過ぎてしまって「よくわからんマイケル」になってしまったのが悲しいね
メディアの勝手な報道もあるけど、マイケルの戦略もあったから、そこは匙加減が難しいところだね
マイケルはかつて映画「グレイテスト・ショーマン」の原型になったP.T.バーナムの自伝をスタッフに読むように伝え「僕は自分の人生をgreatest show on earth」にしたいんだ」と言っています。
マイケルは、それに忠実に生きたのではないかと思っています。
マイケルジャクソンの凄さ⑤:ダンスがすごい
すごい理由5つ目は、ダンスです。これは言わずもがなですかね。
マイケルはもちろん歌もうまいし、自分で作詞作曲もします。
才能に溢れていることに間違いはないのですが、何がすごいかと言われればなんと言ってもダンスです。
マイケルのダンスは有名なステップがたくさんありますが、中でも有名なのは月の上を歩いているかのような「ムーン・ウォーク」。そして重力に逆らって倒れて起き上がる「ゼロ・グラビティ」。
マイケルが書いた自伝のタイトルも「ムーン・ウォーク」だよね
マイケルがいかにダンスを大事にしているかわかるね
しかし、ムーンウォークはマイケルが「発明」したわけではないのです。
詳しくはムーンウォークの考案者は誰?マイケル・ジャクソンの初披露はいつ?ムーンウォークについて解説!の記事で解説していますが、もともとはストリートダンスのステップの「バックスライド」と言われる動きがあり、それをマイケルがダンサーから習って、練習を重ねて改良しました。
そして、そのなめらかな動きを「ムーンウォーク」と呼ぶようになったのです。
呼び方の勝ち感も否めないね
「バックスライド」じゃインパクトないもんね
そして、このステップは実は有名になった瞬間があって。
「プロモーションがすごい」のところでも書いたモータウン25周年記念のテレビ特番です。
モータウンの古き良き歌を懐かしむ場であるはずが、マイケルは唯一違うレーベルの自分のソロ曲「ビリー・ジーン」を披露するのです(マイケルが「ビリー・ジーンやらせてくれないなら出ない」と言って制作側に渋々認めさせたそう)。
そこで、地上波初「ムーンウォーク」を披露します。
そのときの観客の興奮は、録画越しにも伝わってくるよ
この番組により、マイケルのムーンウォークは全米にぶおーーっと広まるんですね。
なんせこの番組視聴率22.9%、視聴者3390万人。
YouTuberもびっくりだな
ここでもマイケルのプロモーション戦略が光りますね。
マイケルはムーンウォークが有名だけどそれだけではなくて。
ダンスがすごくうまいので、ダンサーの中では今でも神のような存在です。
確かに、プロダンサーの中で踊っていても、マイケルはずば抜けてうまくて目立っちゃうもんね。
マイケルはシンガーのイメージが強いけど、実はダンスはピカイチです。
それもそのはず、マイケルはダンスの練習を欠かさなかったみたい。
ツアーで泊まるホテルは必ず一部屋ダンス部屋に改造してもらって、そこでずーっと練習していたらしいです。
スタッフが入ると、ダンスフロアが汗で湖のようになっていたと言います。
マイケルのダンス、確かにかっこいい。私もスムーズ・クリミナルのPVを初めてみたときは、新星堂のテレビの前で動けなくなった。
まとめ:時代と戦略と努力が生んだ唯一無二の存在
マイケル・ジャクソンがすごい理由を5つにまとめました。
マイケル・ジャクソンのすごい理由は以下のとおりです。
いや〜、まとめてみて改めてマイケル・ジャクソンのすごさを感じました。
かっこよすぎる。
私が物心ついたときは、マイケルがめちゃめちゃメディアに叩かれていたので、今こうやってマイケルが叩かれること無く、普通に評価されているのが嬉しいです。
天国でも安らかに。
最後までお読みいただきありがとうございました。
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