キング・オブ・ポップとして音楽史に名を刻むマイケルジャクソン。
ステージを降りたときはどのような性格だったのでしょうか。

ライブのときの力強さとは打って変わり、すごく小さな声で話すイメージがあるよ
今回は、マイケルジャクソンの性格について、彼と近しい人の証言や実際のエピソードなどを用いながらご紹介します!
マイケルジャクソンの性格とエピソード
マイケルジャクソンは11歳の頃にメジャーデビューをし、それ以降ずっとショービジネスの最前線にいました。
また、幼少期に父親に厳しくリハーサルを指導され、タレントコンテストを勝ち抜いてきた経験や、敬虔なエホバの証人である母親の影響も後の人生に大きな影響を与えます。
そのようなチャイルドスターとして育った環境が、マイケルジャクソンを特殊な性格にしている一面があります。
そんな、マイケルジャクソンの性格について、実際のエピソードや周囲の人物の証言とともに見てみましょう。
マイケルジャクソンの性格①:勉強家
マイケルジャクソンは熱心な勉強家で知られています。
小さい頃は、憧れの先輩たちや偉大なエンターテイナーを研究し、自分のスタイルに取り込んでいました。
マイケルジャクソンが憧れて自分のスタイルに取り込んだ人物については、以下の記事にまとめてありますのでご覧ください!↓
例えば、憧れのソウルレジェンド、ジェームズ・ブラウンがテレビに映ると、寝ていてもお母さんに叩き起こしてもらい、彼のステップを見にテレビに齧り付いていたとか。
マイケルは1993年のインタビューで以下のように述べています。
(子供の頃)僕は彼をテレビで見ていたんだけど、よくカメラマンに腹を立てていたよ!だって、彼が踊りだすってときに、ズームにするんだ。足が見えないじゃないか!僕は怒ってものを投げていたよ。それで僕は「映して!映して!彼の足を見て勉強したいんだ!」って言っていた。
MICHAEL JACKSON:: THE MAGIC, THE MADNESS, THE WHOLE STORY, 1958-2009
マイケルは幼い頃、兄弟たちは楽屋でくつろいでいる間に、舞台袖に残って、大先輩たちのパフォーマンスを観察していたと言います。
J・ランディ・タラボレッリは以下のように述べています。
8歳のマイケルを見つけたいなら、みんなどこを探せばいいかわかっていた。彼は舞台袖で、他の出演者たちを観察し、勉強していた。彼が言うには「すべてのステップ、すべての動き、すべてのツイスト、すべてのターン、すべての唸り声、すべての感情を文字通り心に留めた。僕にとって最高の教育だった」
MICHAEL JACKSON:: THE MAGIC, THE MADNESS, THE WHOLE STORY, 1958-2009
また、モータウンレコードの先輩であり、家族ぐるみの付き合いがあったスティービーワンダーも、マイケルについて以下のように言っています。
マイケルはスタジオにやって来るといつも、僕の仕事や僕のすることに興味津々だった。「それはどうやるの? なぜそんな風にやるの?」って具合さ。彼は音楽業界で働くいろんな人を見て、これが大変な仕事だってことをしっかり理解したんじゃないかな。
また、マイケルがジャクソン5の時代に所属していたモータウンレコードの創始者のベリーゴーディーからも、マイケルは大きな影響を受け、たくさんのことを学びました。
ゴーディーは、レコーディングの際に細部までこだわりを持ち、完璧になるまで何度も何度も繰り返し録音をやり直したそうです。
マイケルは以下のように述べています。
ベリーのこだわりを忘れることはないだろう。…ベリーが立ち会ったレコーディングでは、その一部始終を観察してきた。そこで学んだことは一生忘れない。今でも僕はその主義を守っている。
また、専属の家庭教師のローズ・パークスの影響で、マイケルは哲学や歴史、自伝、科学や小説などジャンルを問わずたくさんの本を読んで勉強していました。

ネバーランドには2万冊以上の蔵書があったそうだよ
1975年のインタビューで「自由時間に何をしているのか?」という質問に対し、
MJ:たくさん本を読みます。 インタビューアー:どんな本を? MJ:サイエンス・フィクションとか、ベストセラーの本とかです。
と語っています。
また、新しい音楽のトレンドに関する勉強も怠りませんでした。
兄のジャーメイン・ジャクソンは以下のように述べています。
マイケルは最新の音楽の流行を掴んでいることを大事にしていたので、毎週、彼の元にはビルボードホット100のチャートからトップ10の曲をまとめたCD1枚の他に、R&B、エレクトロ、ダンス、ヨーロッパの音楽をそれぞれまとめた4枚のCDが送られた。マイケルは流行を先取りしたかったので、全ての曲を聴いて、どんな曲が流行っていてどんな曲が売れているかを見極めていた。

若いプロデューサーと積極的に組んだり、40歳になっても新しいサウンドを追求したりと、進化し続けていたよね
このように、マイケルジャクソンはレジェンドを研究したり、知識を取り込んだりすることを怠らず、常に新しい感覚で作品作りに臨んでいたと言えます。
マイケルジャクソンの性格②:完璧主義
マイケルジャクソンは完璧主義と言われています。
そのため、アルバムを出すたびに大量の曲を作り、その中から最高のものだけを選ぶため、大量の未発表曲が積み上がっていきました。

十数曲のアルバムのために、100曲近くレコーディングしたこともあるそうだよ
なかなか仕上がらずに、発売予定日はほぼ必ず遅れるので、キャリアのながさを考えるとアルバムの発表数はソロデビューの1979年から7枚のみととても少ないです。
マイケルジャクソンは以下のように述べています。
僕は、完璧というものの存在を信じている。…だから、何を作るときでも、完璧なものにしようとしているんだ。決して到達できないように思えるかもしれないけど、完璧にやり遂げることはできると信じている。少なくとも、99.9パーセントまでは辿り着かないと落ち着かないんだ。
そのため、アルバムとアルバムの間にはいつも3〜4年の間が空いています。

マイケルの完璧主義は、子供の頃に培われたよ
マイケルの完璧主義は、幼少期に培われたものと言えます。
マイケルはデビュー前に、お父さんの指導のもと兄弟たちとリハーサルをする中で、完璧にパフォーマンスすることを教え込まれます。
兄のジャーメインは以下のように述べています。
彼(父)は、歌や踊りがうまくいかないと「何度も何度もやってきただろう。どうして忘れるんだ?」と怒鳴った。そして、ジェームズ・ブラウンが、バンドのザ・フェイマス・フレイムスの誰かがミスをする度に罰金を取っていたことを僕らに思い出させた。しかし、ジョセフの選んだ制裁は罰金ではなく、鞭打ちだった。
学校と寝る時間、本番以外はリハーサルをする日々の中で、繰り返し繰り返し練習することで振り付けや歌を「完璧に」することが当たり前だという感覚を身につけたのです。
また、モータウンレコードでデビューをした後には、モータウンの社長のベリー・ゴーディーの曲作りのプロセスを学び、そこでも楽曲制作に妥協しない姿勢を学びます。
後にマイケルと仕事をすることになるミュージシャンは、マイケルの曲作りの際にもこの厳格な完璧主義が反映されていることがわかっただろう。「僕は求める音になるまでなら、ミュージシャンに数百回から千回だって繰り返しやらせるよ」とマイケルはかつて言っていた。モータウンで教わったように。
また、完璧主義は楽曲制作のみならず、パフォーマンスにも反映されています。
マイケルジャクソンは舞台やツアーの前に、ステップを何度も練習することで知られています。
兄のジャーメイン・ジャクソンは以下のように述べています。
彼が他の全てのツアーでも併せて行っていたことは、家に帰って自分のダンスを一人で練習することだった。複雑な動きの一つ一つは完璧でなくてはならず、彼はもうこれ以上できないというところまで自分の体を追い詰めた。リハーサル中には決まったステップを流れで確認し、家で何度も何度も繰り返し繰り返し…また繰り返し行い、完璧を目指して練習した。彼は時々疲れすぎて、居室につながる螺旋階段を登るために足を持ち上げることも精一杯なときがあると僕に言った。
また、2006年頃からマイケルと一緒に曲作りをしていたウィル・アイ・アムは以下のように述べています。
彼はすごく用心深くて、金庫に鍵をかけて保管してたよ。1曲できると、手元にあるデモを全部回収してさ。完璧主義で、納得いくまでは誰にも聞かせたくないんだ。
そしてウィルは実際に、マイケルの死によって未完成となった楽曲たち(ほぼできている)を、マイケルに「失礼」だからという理由でリリースしませんでした。
また、『Invincible』のアルバムのプロデューサーのロドニー・ジャーキンスはマイケルとの作業について以下のように述べています。
マイケルとは、一緒に仕事がしやすい。彼は、自分が何を求めているのか、はっきりとわかっているから…何もかも、すべてが彼の求めるとおりにならないといけないんだ。…細部まで細かく指示を出す。ハイハットとか、そういう部分まで、だよ。音質にもものすごくこだわっていた。まるで、すべてを顕微鏡で見ているみたいだった。『中音域の周波数が強すぎる』とかねー専門的なんだ。
このように、マイケルは楽曲制作やパフォーマンスに関して、子供の頃から完璧になるまで突き詰める性格があります。
イタズラ好き
マイケルジャクソンは、イタズラ好きで知られています。
子供の頃、マイケルは兄弟の中で最もイタズラ好きで、兄弟やボディガード、家庭教師、スタッフなどにイタズラを仕掛けまくっていました。
ジャクソン5として兄弟たちとツアーをしているとき、ホテルではマイケルがリーダーとなってさまざまないたずらが繰り広げられていたそうです。
お兄さんのジャーメインジャクソンは以下のように述べています。
(マイケルは)いたずら隊長として、かゆみ粉、ブーブークッション、悪臭弾、水風船のストックがあった。ホテルの窓から通行人の頭の上に水風船を落とす、エレベーターで悪臭爆弾を爆発させる、氷水のバケツを少し開いたドアの上に置いておく、というのは、中でもマイケルのお気に入りのいたずらや仕掛けだった。マイケルは僕らみんなにやらせ、主にスーザン・デ・パッセ、ビル・ブレイ、ジャック・リチャードソン、モータウンのPR担当のボブ・ジョーンズをずぶ濡れにさせようとした。スーザンはいつも僕らが何かを企んでいるとわかっていて、特に警戒して部屋に入ってきたが、ボブはいつもひっかかってずぶ濡れになった。

きっと、遊びたい年齢なのに外に出て遊べなかったから、イタズラでエネルギー発散させてたんだろうな〜
また、ホテルの内線を使って、ロードマネージャーにいたずら電話をかけて楽しんでいたというエピソードもあります。
ロードマネージャーのジャック・ナンスとドライバーのジャック・リチャードソンは、いつも僕らのお気に入りのターゲットだった。彼らが部屋の内線を取ると、マイケルが女の子のファンを装って自己紹介をした。「今夜あなたのことを見かけたの…見た目がタイプだったわ」と甲高い声で話し、更にその日ジャックが着ていた服などの詳細を話し、信ぴょう性を高めた。「…私はマイケルのファンだったけど、あなたに一目惚れしたの…」 僕は笑いすぎてバスルームに駆け込まなければならなかったが、マイケルは大真面目な顔で続けた。「私がどんな見た目かって?(恥ずかしそうな笑い声を挟んで)うーん、背が高くて、細くて、とても美人よ…って友達に言われるの…私の年齢? もうすぐ十六歳になるわ」と彼は言ったものだった。彼はこんなやりとりを十分もの間続け、彼らをからかい、彼らのエゴを満たしたが、決してそれが僕らだと種明かしをしなかった。

絶対気づいていたけど、可愛いから騙されたふりをしてくれてるやつじゃん

なんかほっこりするね
これは、マイケルが26歳になってから行った、兄弟たちの再結成ツアーである「ヴィクトリー・ツアー」でも同じだったようです。
ツアーをやるというのは、僕らがまた子供の頃に戻ることができるということを意味した。僕らの楽しみは馬鹿げていて、幼稚だったが、とにかく楽しかった。マイケルとマーロンと僕は、ホテルの部屋の窓から、屋外でスーツ姿でランチをしているビジネスマンのテーブルに向かって水風船をなげ、落ちながら水風船の水が「雨」の霧になって降り注ぐのを楽しんだ。それから、水鉄砲合戦で、お互いびしょ濡れになった。人々の靴の中に卵を入れた。マイケルはトイレットペーペーを持ち出して、バルコニーから投げて遊んだ。

とにかく、いたずら大好きなんだね。
こんなエピソードもあります。
マイケルの『Bad』のアルバムに収録されているデュエット曲「I Just Can’t Stop Loving You」の収録の時に、デュエット相手のサイーダは以下のような思い出を語っています。
マイケルと「I Just Can’t Stop Loving You」の録音の時、マイクスタンドで、「You know how I feel〜♪」って目を閉じて歌っていたら、顔に何かが飛んできたの。確かポップコーンだったわ。マイケルが私の顔に向けて投げて遊んでいるのよ。それで、クインシー(プロデューサー)は「サイーダ、録音中だぞ。集中しろ。スタジオレンタル料は高いんだから、時間を無駄にするな」って。マイケルは大爆笑だったわ。
何歳になっても子供みたいないたずらで面白がっちゃうマイケル、可愛いですね。
優しい
「優しい」ってとても曖昧な表現で、人によって定義が異なるかと思いますが、マイケルジャクソンの優しさは「寛大」「人間愛」に近い優しさと言えるでしょう。
というのも、マイケルは敬虔なエホバの証人のお母さんの影響で、他人に優しく接すること、他人を愛することを教えられました。
マイケルは、1991年に以下のように述べています。
キャサリン(母)の偉大さ、温かさ、心配りの中で育ったので、母の愛がなく育つことがどのようなことなのか想像できません。彼女が僕らに教えてくれたことは、かけがえのないものでした。他人に対する優しさ、愛情、思いやりというのは、彼女の中で最も優先されるべきことなのです。
MICHAEL JACKSON:: THE MAGIC, THE MADNESS, THE WHOLE STORY, 1958-2009
実際に、お母さんはジャクソン5のデビュー前に、家を訪ねてきたホームレスの人を家にあげてご飯をあげたり、ジャクソン5のファンたちを家にあげてマイケルたちが帰ってくるまで待たせてあげたりしていたそうです。
また、マイケルジャクソンを死に至らしめたとして有罪判決を受けたコンラッドマーレイ医師の母親に対しても、マイケルのお母さんは慈悲の心を示していた、とマイケルの兄のジャーメインは語っています。
この拍子抜けした法廷での最後のときにも、僕は母が再びコンラッド・マーレイのお母さんを見つめているのをみた。母が、他の母に同情している姿だった。「彼女も今、息子を失ったのよ…全く異なる意味で」と母は言った。他人の感情を思いやって、批判したり、嫌ったり、憎んだりすることをしない母の心の広さは、僕がずっと尊敬する人間性である。マイケルの寛大で思いやりに満ちた精神はここからきたものであり、人道主義はここに根ざし、同時に受け継いだものだった。
デビュー前の子供の頃、マイケルが初めてナイトクラブでのパフォーマンスで稼いだお金の使い道について、兄のジャーメインは以下のように語っています。
マイケルは自分の分のお金でお菓子を買い、近所の子たちと分けた。「マイケルは自分で初めて稼いだお金を、他の子供たちにあげるお菓子に使ったのか?」とジョセフ(父)は困惑して言った。しかし、「みんなで平等に分け合う」ということについては、マイケルが一番の優等生だった。僕らはいつも母から、他人のことを考え、善い行いをするように言われていたのだ。

小さい頃から、他人と分け与えたり、他人を思いやることを教えられ、実践してきたんだね
マイケルジャクソンは実際にチャリティ活動に多額の寄付をしたり、ツアーの滞在先で病気の子供達を訪問したり、ツアーに招いたり、ネバーランドの映画館に病気の子供用の鑑賞スペースを設けたりと、恵まれない人々のために尽力してきました。
また、彼が亡くなってから映画化された『This Is It』の映画の中でも、全く威圧感を感じさせず、スタッフや監督に優しく指示を出すマイケルの姿が映し出されています。
人見知りでシャイ
マイケルジャクソンは11歳でデビューを果たし、チャイルドスターとなりましたが、思春期が到来したことで容姿に変化が訪れます。
その変化に最も戸惑ったのは、マイケルでした。
特に、ひどいニキビに悩まされ、容姿についてニュースなどで公に叩かれたことやファンが失望する様子を見ることで精神的に深く傷つき、性格にも影響が及んだと語っています。
この経験で、僕は潜在的な傷を負いました。とても引っ込み思案な性格になり、人と会うのが恥ずかしくなりました。その影響は凄まじいもので、僕の性格すらも全く変えてしまったのです。
MICHAEL JACKSON:: THE MAGIC, THE MADNESS, THE WHOLE STORY, 1958-2009
母のキャサリンも、当時の様子を次のように語っています。
マイケルは家から出たがりませんでした。外に出ても、ずっと下を向いていました。思春期に起こった容姿の変化による影響は、永久に残ることになりました。彼はもう呑気で社交的でイタズラ好きの少年ではなくなりました。静かで真面目で、孤独を好む青年となったのです。
MICHAEL JACKSON:: THE MAGIC, THE MADNESS, THE WHOLE STORY, 1958-2009
また、マイケルは自伝で次のように語っています。
僕は引っ込み思案です。本当に。インタビューやトークショーなんかも苦手です。 …人間はみんなさまざまな面を持ち合わせていると思いますが、僕もなんら変わりありません。僕は人の前に出ると、恥ずかしがり屋であまり多くを話さない性格になります。もちろん、カメラのフラッシュや人々の視線が無ければ、違います。
『スリラー』を含むマイケルジャクソンの3枚のアルバムをプロデュースしたクインシージョーンズも、最初にマイケルに会った時の印象を以下のように述べています。
(マイケルは)とても、とても人見知りで、恥ずかしがり屋で、自己主張が弱かった。
MICHAEL JACKSON:: THE MAGIC, THE MADNESS, THE WHOLE STORY, 1958-2009
マイケルジャクソンがいつもサングラスをかけているのも、「人に目を見られるのが嫌で、自分を守るため」と語っています。
『Thriller』の大成功により、史上初の8冠を達成した1984年のグラミー賞授賞式のスピーチでも、マイケルジャクソンはサングラスをしたまま登壇します。
『スリラー』が7つ目の賞を受賞するとき、マイケルジャクソンは壇上でにかみながら小さな声でこのように言ってサングラスを外します。
サングラスを外そうと思います。本当は外したくないんだけど…親友のキャサリンヘップバーンが外すべきだっていうから、彼女のために外します。それから、バルコニー席にいる女の子たちのために。
恥ずかしがり屋な性格がよく現れているシーンです。
真面目で働き屋
マイケルジャクソンは、いつも事前準備をしっかしとして、スタジオに入るときには万全の体制だったと言われています。
『Off The Wall 』『Thriller』『Bad』でプロデューサーを務めたクインシージョーンズは以下のように語っています。
マイケルはスタジオに来て、1日で2つのリードボーカルと3つのバックコーラスを終わらせてしまう。マイケルは家で準備や、リハーサル、練習をしっかりやってくるんだ。ほとんどのアーティストは、スタジオに来てすべてその場でやろうとする。…スタジオの料金は高いから、マイケルのようなアーティストは、プロデューサーにとって夢のようなアーティストだ。しっかり準備をして、スタジオにやってくる。マイケルとは一回のセッションで本当にたくさんのことができたので、僕は驚いた。
またマイケルは、自分自身について以下のように語っています。
僕はどんなものでも絶対に満足しなかった。1曲仕上げたとしても、家に帰ると「いや、やっぱり違う」と感じ、またやり直しての繰り返し
マイケルは、いつも仕事をしていたと言います。
兄のジャーメインは以下のように述べています。
彼は何か建設的なことをしていないと(つまりほとんどのとき)、罪悪感を抱いていた。マイケルは自分の子供時代の時間が奪われたとは言うものの、自分自身を甘やかすようなことはしなかった。マイケルはビデオゲームは時間の無駄だと考えていたし、休憩することは怠惰だと思っていた。自分の心を麻痺させるのではなく、刺激を与えたがった。それがただ読書をすることだったとしてもだ。「僕は何もしないでいることはできない」と彼は言った。彼は自分のアイディアや考えを全て形にするためには、一日二十四時間では足りないといつも言っていた。
『HIStory』で一緒に働いたジミー・ジャムは、マイケルに『Scream』のデモテープを聴かせた翌日には、マイケルがメロディと歌詞を用意して現れたので、驚いたと言います。
以下のように述べています。
素晴らしかったね。彼と一緒にやった曲はすべて、そういう風に作った…マイケルは非常に仕事が速い。とてつもない集中力を見せるんだ。あっという間に書いてしまう。アイディアが降ってくるんだろうね。爽快だったよ。
「Remember The Time」のレコーディング・エンジニアのデイヴ・ウェイは、マイケルのボーカルのレコーディングの様子について、以下のように振り返っています。
(マイケルが)「…全部のパートを通して歌いたいんだ」というので、テープを戻して最初から彼がノートやハーモニーを歌い、それを二重三重、時には四重に録音するのを見ていた。どれも彼は完璧に歌った。ビブラートは完全に一致し、音程も狂わず、リズムも完璧だった。曲がどこでどうあるべきかをすべて把握していた。そして私が1人でやるよりも早く録音を終えてしまった。何の問題もなくね。それが1日目のことだ。

歌詞やメロディ、曲の構成が頭に完全に入ってないとできないことだね
また、実現はしなかったロンドンでの『This Is It』のリハーサルの最中にも、力がみなぎって眠れない夜が続いていたそうです。
マイケルは以下のように述べています。
霊媒みたいなものだよ。曲を書いているとアイディアがとめどなく降りてきて止まらないんだ。…もし僕がそれを受信しなければ、神はプリンスの方へ行ってしまうかもしれないじゃないか。
マイケルジャクソンは溢れ出すクリエイティビティを吐き出すように、寝る間も惜しんで作曲に取り組み、曲を完璧に仕上げるために家やスタジオで作業を行なう働きやだったと言えます。
マイケルジャクソンの性格がわかる本
マイケルジャクソンについて詳しく書いてあり、よく性格がわかる本を紹介します!

この記事を書くのに参考にした本たちだよ
マイケル・ジャクソン コンプリート・ワークス / ジョセフ•ボーゲル
マイケルジャクソンのソロ作品を1曲ずつ解説し、それにまつわるエピソードやエンジニア、スタッフなどの証言も紹介しながら詳しく書かれており、とても読み応えがあります。
500ページほどある大作です。日本語訳バージョン。
ムーン・ウォーク/マイケル・ジャクソン
唯一マイケルジャクソン本人の言葉で語られた自伝です。
さまざまな憶測やストーリーの裏側について、自分の言葉で語られているので、マイケルジャクソ本人の心の中を知ることができます。
英語版と日本語版があります。
英語版もそこまで難しくないので、本人の生の言葉で読みたい場合は、英語版もおすすめです。
【日本語版↓】
【英語版】
You Are Not Alone / ジャーメイン・ジャクソン
マイケルの兄のジャーメイン・ジャクソンが、兄の視点からマイケルについて書いた伝記的な内容の本です。
生まれた頃から死ぬまで、さまざまな思い出が温かい兄の視点から描写されており、ジャクソンファミリーをのぞいているかのようなワクワク感がありました。
知らないエピソードもたくさんで、とても読み応えがあります。
残念ながら、日本語は未訳なので、英語版しかありません。
【英語版】
Michael Jackson: The Magic, The Madness, The Whole Story, 1958-2009 / J・ランディ・タラボレッリ
この本はマイケルジャクソンのエピソードや証言などがたくさん書かれており、マイケルジャクソンという人物にとても近づける内容です。
真偽がわからない事柄もありますが、それでも十分に読み応えがあり、多くの発見や楽しみがあります。
706ページある本で、日本では未訳ですので、英語版のみです。
【英語版】
ただ、1988年に彼の著書が邦訳されており、読んでみたら上の本の内容と被っている部分も多かったです。
古い本でところどころ真偽が怪しいところもありますが、読み物として面白く、それでもマイケルについて多くの興味深く面白い内容がたくさんありますので、興味がある方は読んでみてください。
上巻・下巻の二冊組です。
【マイケル・ジャクソンの真実 上】日本語
【マイケル・ジャクソンの真実 下】日本語
マイケルジャクソンは唯一無二
マイケルジャクソンの性格について、エピソードも交えながら紹介してきました。
マイケルジャクソンは、チャイルドスタートして幼少期を過ごし、ずっと第一線で活躍してきたことが、彼の性格に大きな影響を与えてきました。

天才と言われるけれど、努力も怠らない人だったんだね

ステージ上の自信にあふれた姿とは対照的に、シャイなのは萌える
マイケルジャクソンはあまりインタビューなどを受けなかったので、色々な憶測がされましたが、スタジオで一緒に作業をした人々はみんな「プロフェッショナルで温かい人だ」と言います。
これからどんどん、正しいマイケルジャクソン像が広まったら嬉しいです。
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