今回はマイケル・ジャクソンのデビュー前の子供時代についてまとめてみました。
幼い年齢でデビューしたマイケルですが、デビュー前の幼少期、マイケルはどのような生活を送っていたのでしょうか。
1969年10月、マイケルがデビューしたのは11歳の頃だね。
日本の小学5年生か。私は泥団子作ってたな。
マイケルは1995年にリリースされた「Childhood(=子供時代)」というタイトルの自身の曲でこのように述べています。
People say I'm not okay みんな僕はおかしいっていう 'Cause I love such elementary things... なぜなら、僕は幼稚なものが好きだから It's been my fate to compensate, 僕は子供時代というものを知らないから For the Childhood 埋め合わせをしていくのが I've never known... 僕の運命なんだ
今回は、マイケル・ジャクソンがジャクソン5としてメジャーデビューする前、どのような生活を送っていたのかについて解説していきます!
この記事では、マイケルジャクソンをマイケルジャクソンたらしめた「子ども時代」のパーソナルな部分について焦点を当てています。
ジャクソン5の名曲を知りたい方は、こちらの記事をご覧ください!↓
マイケル・ジャクソンの誕生日と子供時代の家について
マイケル・ジャクソンは1958年8月29日、父ジョセフ・ジャクソンと母キャサリン・ジャクソンのもとに、9人兄弟の7番目の子供として生まれました。
めっちゃ大家族だね
マイケルの兄のマーロンは双子が死産してしまったので、自分は本当は8番目の子供だってよく言うよ
マイケルには2人のお姉さんに4人のお兄さん、弟と妹が1人ずついます。
生まれたのはシカゴにほど近いインディアナ州の都市、ゲイリー。
当時労働者階級の家族だったジャクソン家は、偶然にも「ジャクソン・ストリート」と言う名の通りにある、ベッドルームが2つの小さな家に住んでいました。
その家のことを、ジャーメイン・ジャクソンは著書「You Are Not Alone: Michael: Through A Brother’s Eyes」の中でこう述べています。
ジャクソンストリート2300番地は靴の箱の中にある生活というイメージが一番しっくりくる。9人の子供、2人の両親、2つのベッドルーム、1つのバスルーム、キッチンとリビングルームが、横は9メートル、縦は12メートル足らずの狭い空間に詰め込まれていた。
You Are Not Alone: Michael Through A Brother’s Eyes | Jermaine Jackson
小さな家で9人もの子供を育てるお母さんは大変そうですね。
ベッドルームも小さかったので、男兄弟5人は3段ベッドを一番上に2人、中間に2人、一番下に1人でシェアしていたそうです。
(ちなみに、マイケルはひとつ上の兄マーロンと真ん中の段のベッドを使っていました)
マイケル・ジャクソンの両親はどんな人? 職業は?
マイケル・ジャクソンの両親は、9人の子供という大家族を養うために共働きをしていました。
父ジョセフは、インランド・スティール社の「鉱山」でクレーンの運転手として、行ったり来たりしながら鉄の梁を運ぶ仕事をしていました。
重労働の仕事なのに、8〜10時間という長いシフトをいれて頑張っていたよ
それでも足りなくて、マイケルが生まれると缶詰工場でのシフトも追加したんだって
一方母キャサリンは、平日の昼間と、時々土曜日と夜間に、「シアーズ」という地元のデパートでレジ打ちのパートをしていました。
両親の手取りは2人合わせて週に75ドルという少ないものだったので、更に子供達は冬に近所の雪かきをして家計を支えていたのだとか。
しかし父ジョセフは、生活費を稼ぎながら、この苦しい生活を抜け出すために「一発当てる」夢ももっていました。
それを体現すべく、ジョセフは兄弟や友人と「ファルコンズ」というバンドを結成し、クレーンの操縦をする傍ら、作曲やリハーサルを行い、地元のパーティーなどで演奏をして小銭を稼いでいました。
父が持っていたギターをこっそり使ってジャッキーとティトとジャーメインの3人が楽器の練習をし始め、それが見つかったことがきっかけで息子たちの隠れた才能を知り、ジャクソン5の先駆けが誕生することとなります。
また、お母さんもマイケルのおじいちゃんにあたる父から受け継いだきれいな歌声を持っており、高校でクラリネットやピアノをやるなど、音楽の才能がある人物だったそうです。
ジャーメインはこう語っています。
僕らはみんな、母の歌声が大好きだった。流し台の前に立って歌いながら、母の心はアラバマの大地に戻っており、決して平淡でなく常に音程がぴったりの母の歌声に背筋がぞくぞくとしたものだった。
You Are Not Alone: Michael Through A Brother’s Eyes | Jermaine Jackson
お父さんのバンドのリハーサルや、お母さんの美しい歌声など、両親の職業は音楽と無関係でありながら、家の中で音楽が溢れていたことが想像できます。
マイケル・ジャクソンの通っていた学校や勉強について
マイケルやその兄弟は、地元の学校に通っていました。
マイケルが6歳のときに最初に通った小学校は、マイケルの自宅から2本先の通りにあるガーネット小学校というところです。
紆余曲折があり現在は完全に閉校してしまっているようです。
このガーネット小学校のPTAの催しで、マイケルがサウンド・オブ・ミュージックの「Climb Ev’ry Mountain」歌って、その才能に観客が驚いたという逸話があるよ
厳しくて有名なマイケルのおじいちゃんをも泣かせたらしいよ
11歳になるまで通っていましたが、ジャクソン5としてデビューをしてアメリカ中に知られることになると、学校を辞めざるをえなくなりました。
学校を辞めた後は、ローザ・ファインという家庭教師がつき、一日3時間程度、第2の母として勉強だけでなく色々なことを学びました。
そのおかげもあってか、マイケルは読書家としても知られており、大人になってからもジャンルを問わず一日に一冊のペースで本を読んでいたと言われています(好きなジャンルは歴史と伝記)。
ネバーランドには一万冊の本があったらしいよ
また、マイケルは14歳のときから2年間、ロサンゼルスにある有名人やお金持ちの人を受け入れているプライベート・スクール「モンクレア・カレッジ・プレップ・スクール」に通い、学位を取得しています。
マイケル・ジャクソンの幼少期の生活について
マイケルの幼少期の暮らしについて、項目別に見ていきます!
マイケル・ジャクソンはクリスマスや誕生日を祝わない?
よく言われるのが、マイケルは子供時代に「クリスマスや誕生日を祝わなかった」ということ。
これは真実で、お母さんの宗教が関係しています。
マイケルの母キャサリンは、敬虔なエホバの証人の信者でした。
エホバの証人では、クリスマスも誕生日も、異教の習慣を源にしたものとして祝いません。
なので、ジャクソン一家は特にクリスマスは盛大に飾り付けをし、大きなパーティーを行う習慣のあるアメリカで、ぽつんと一軒だけお祝いができないという、寂しい思いをしたようです。
兄のジャーメインによると、これの反動でマイケルは「大きくなったら、毎日がクリスマスにするんだ」と子供の頃宣言していたそうです。
ネバーランドを見ると、時を経て有言実行したと言えそうですね。
マイケル・ジャクソンは外で遊ばせてもらえなかった?
マイケル・ジャクソンは子供時代、リハーサルばかりで普通の子供のように外で遊ばせてもらえなかったという噂があります。
こちらは半分本当で半分嘘というところです。
マイケルの幼少期、住んでいたインディアナ州のゲイリーは犯罪率の高い地域として有名で、治安も日に日に悪化していました。
現に、マイケルのお父さんはジャクソン兄弟の巡業中、荷物搬入をしているところを地元のギャングに襲われ、大怪我を負ったことがあるくらいです。
両親は治安が日に日に悪化するゲイリーで、子供達が外で遊ぶのは危険だと考え、家の中でできる活動をするという意味でジャクソン5を結成し、演奏の練習を義務付けていたと言われています。
ジャクソン5のリハーサルは、ミュージシャンになる、という夢のためだけではなかったんだね
子どもたちは外で遊びたがるだろうから、親としては必死だったんだね
また、全く外で遊んでいなかったわけではなく、兄弟たちで家の前の道に出て、ショッピングカートを改造したゴー・カートの遊びをしたり、バスケなどをして遊ぶことはあったようです。
ただ、地元の友だちとつるむことはあまりなく、家族として閉じていたのは事実です。
これによって、外でみんなで楽しく遊ぶ子供達と、家の中に閉じ込められ遊ばせてもらえないジャクソン兄弟達という構図ができあがっていったのでしょう。
治安が悪かったので、なるべく外との関わりを断って、家の中で家族で団結する方向へ向かっていったのだと思われます。
マイケル・ジャクソンは子供時代、お父さんから虐待を受けていた?
よく、マイケル・ジャクソンは厳しいお父さんから虐待に近い体罰を受けていたと言われます。
それによって、深く傷つき、トラウマを背負ってしまったのだと。
たしかに、父ジョセフは厳しく、ジャクソン5のリハーサルで誰かが間違えたりうまくいかないと、庭の木から枝を持って来させ、それで鞭のように叩いたと言われています。
自分がこれから叩かれる枝を選ぶってかなり壮絶な光景だね。。。
マイケルはジャクソン5の中でも最年少だったから、怖さも人一倍大きかったんだろうな
リハーサルだけでなくても、お手伝いをサボったり悪いことしたりをすると、お尻を叩かれたりと、厳しい体罰が与えられました。
しかも、そのお尻叩きは、大きな叫び声が出て、家が揺れるほど痛かったそうです。
確かに、今聞くと想像も絶する恐ろしい体罰ですが、父ジョセフも子供の頃そのように育てられ、当時は、学校や家庭で体罰は当たり前に行われていたようです。
だからといって、推奨していいものではないのですが、ジョセフだけ特別に非難されるものでもないでしょう。
ジャクソン兄弟は父を恐れ、その怖さからパフォーマンスを完璧にしようと努力を重ねました。
そして、子供達がモータウンと契約をしてマネージャーとしての役目を終えるまで、1人で5人のただの子供を、最高級の技術を持つパフォーマーに育てあげたのです。
「父」としていい父だったのかは難しいところですが、「マネージャー」や「監督」としてはグッジョブをしたと言えるでしょう。
ちなみに、子供達は母キャサリンのことは「マザー」と呼びますが、父ジョセフのことは「ジョセフ」と呼ぶよ。決して「ファザー」と呼ばないんだ。
父親と子供とは違う関係性でつながっていたことが伺えるね
マイケルジャクソンの幼少期が彼の性格にもたらした影響については、以下の記事にまとめてありますのでご覧ください!
マイケル・ジャクソンのジャクソン5への加入の経緯
マイケル・ジャクソンが物心ついた頃には、既に兄であるジャッキー、ティト、ジャーメインの3人がジャクソン5の前触れともいえるバンドの練習を行っていました。
最初は、マイケルは3人の兄が練習している横で床に座り、オートミールの空箱を2つつなげて作った「ボンゴ」で勝手に演奏に参加していたそうだよ
想像するとかわいいなあ
マイケルが加入したきっかけは、小学校で観客の前で「Climb Ev’ry Mountain」を披露したときのことです(前述の「3 マイケル・ジャクソンの通っていた学校や勉強について」参照)。
舞台上で見事なハイトーンボイスを聴かせ、会場をスタンディングオベーションで包みました。
特に家で練習していた様子もなかったので、家族みんなびっくりしたそうです。
こいつにこんな才能があったとは知らなんだ…
このときにはじめて、父ジョセフや家族がマイケルの歌の才能を知ることとなりました。
この発表会を機に、マイケルは「ジャクソン3」に加えられることが決定しました。
これが、1963年の出来事だよ
あれ、でもまだこれじゃあ「ジャクソン4」だよ
最後に加入したメンバーは、マイケルの一つ上の兄であるマーロンです。
マーロンは、最後というか、マイケルと同時に加入が決まりました。
マーロンはマイケルのように何か特別な才能が認められたわけではありませんが、母キャサリンが「マーロンだけ仲間はずれにしたら、マーロンが一生傷つく」ということで、加入させないのを許しませんでした。
このあたりにも、キャサリンはきちんと「お母さん」だったんだな、ということがわかりますね。
(ちなみにマイケルの弟のランディはまだ赤ん坊だったので、特に話題には出てきませんが、後に「ジャクソンズ」となった際に、脱退したジャーメインの代わりに加入します。)
ジャクソン5の怒涛のリハーサルの日々
メンバーが5人になると、ジャクソン5は家でリハーサルを重ねました。
放課後は夜までリハーサル。
夜は居酒屋やストリップ劇場のようなところで出演し、場数を踏みます。
そして休日はコンテストやイベントなど。
チトリン・サーキットと呼ばれる黒人パフォーマーのための会場で演奏をしたり、タレントコンテストに出場したりと、着々と実績を作っていきます。
コンテストは次々と優勝し、演奏でお金を稼げるようになってきます。
また、モータウンと契約する前の1968年には「スティールタウン・レコード」という地元のレコード会社と契約し、シングルをリリースしています。
しかし、彼らの目指すところはただひとつ。当時、多くの黒人のスターを輩出していた「モータウンレコード」との契約でした。
お父さんはデモテープを送ったり、コネを使ったりと必死にモータウンにアピールしていたそうだよ
モータウンが憧れだったから、どうしてもモータウンがよかったんだ
そんな中、1968年にボビー・テイラーという人物がジャクソン5の才能を見抜き、ついにモータウンでオーディションを行いました。
そして見事合格した彼らは1969年、モータウンレコードからデビューを果たすこととなったのです。
まとめ:アメリカンドリームを体現したジャクソン兄弟
いかがでしたでしょうか。
マイケル・ジャクソンのデビュー前の子供時代について様々な観点からまとめてみました。
だいぶ端折りましたが、もともとお金もなく、治安も悪い環境に生まれましたが、音楽という軸のもと、お父さんとお母さんに守られ、兄弟たちと和気あいあい育ったことが伺えます。
ゲイリーは当時、音楽かスポーツで成功しない限り、将来は「鉱山かギャングか死」といわれていたんだ
ジャクソン家にとって、音楽はその生活から抜け出すための望みだったんだね
小学生〜中学生という多感な時期に既にプロとして仕事をすることが、いい面でも悪い面でもマイケルに多大な影響を与えたことは間違いないです。
ブルック・シールズやリサ・マリー・プレスリーなど、マイケルとロマンスの噂があった人物は、子供の頃から世間の目にさらされていたというのはとても興味深いですし、偶然の一致ではないでしょう。
本人たちにしかわからない苦労や気持ちがあるのかと思います。
しかし、ファンとしては、子供の頃のマイケルの歌声にたくさん救われてきたので、小さい頃から歌声を聴かせてくれて、ありがとうという気持ちです。
これからも聴き続けたいと思います!
最後までお読みいただきありがとうございました!
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